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村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」から

作家の村上春樹氏は、ラマソンランナーである。

フルマラソンも走るし、サロマ100キロも走る。そんなランナー村上氏がつづったメモワール的な一冊を読む。

「走ることについて語るときに僕の語ること」文春文庫。

その中から。

   =

僕らは初秋の日曜日のささやかなレースを終え、それぞれの家に、それぞれの日常に帰っていく。

そして次のレースに向けて、それぞれの場所で(たぶん)これまでどおり黙々と練習を続けていく。

そんな人生がはたからみて、あるいはずっと高いところから見下ろして、たいした意味を持たない、はかなく無益なものとして、あるいはひどく効率の悪いものと映ったとしても、それはそれで仕方ないじゃないかと僕は考える。

たとえそれが実際、底に小さな穴のあいた古鍋に水を注いでいるようなむなしい所業に過ぎなかったとしても、少なくとも努力したという事実は残る。

効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目に見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。

そして本当に価値あるものは往々にして、効率の悪い営為を通してして獲得できないものなのだ。

(中略)

僕はこの冬に世界のどこかでまた、フルマラソンレースをひとつ走ることになるだろう。そして来年の夏にはまたどこかで、トライアスロンレースに挑んでいることになるだろう。

そのようにして季節が巡り、年が移っていく。

僕はひとつ年を取り、おそらくは小説をひとつ書き上げていく。

とにかく目の前にある課題(タスク)を手に取り、力を尽くしてそれらをひとつひとつこなしていく。

一歩一歩のストライドに意識を集中する。

しかしそうしながら同時に、なるべく長いレンジでものを考え、なるべく遠くの風景を見るように心がける。

なんといっても僕は長距離ランナーなのだ。

個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまで副次的なことでしかない。

僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。

尽くすべき力は尽くした。耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。

そこにある失敗や喜びから、具体的な教訓を学びとっていくことである。

そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか納得のいく場所に到達することである。

あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ。

もし僕の墓石銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。

   村上春樹

   作家(そしてランナー)

   1949-20**

   少なくとも最後まで歩かなかった

今のところ、それが僕の望んでいることだ。

(第9章)

    =

あなたは何に集中し、どんなことばを墓石に刻みたいだろうか。

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